松井珠理奈のためのブックガイド
松井珠理奈が何やら話題になっていた。
なっていた、と言ってもそれはファンのコミュニティ内での話なので、一般的にはそうでもないことと思う。ああ、またAKB総選挙やってたんだ。ぐらいの認識であることと存じ上げております。
まだ小学生だった時にSKE48一期生として入り、いきなりAKB48『大声ダイヤモンド』のセンターに抜擢される。ローティーンらしからぬ大人びたルックスで、文字通り大型新人が出てきたと感じたものだ。で、彼女はそれ以降SKE48のトップに君臨し、長らく松井玲奈と共にグループを牽引してきた。
のみならず、それから10年経った今年、SKE48の最新シングル『いきなりパンチライン』でもセンターを務めている。途中センターを若手に譲ったことは何度かあるが、SKE10周年のメモリアルなシングルは、やはり松井珠理奈の単独センターであった。
それは、SKE48の歴史が「松井珠理奈そのものであった」というメッセージのようでもある。
そして先日の総選挙以後、松井珠理奈は体調を崩して休養に入っている。発表によると、総選挙までの3日間、食事ができず眠れない状態だったらしい。
以前にも松井珠理奈が体調を崩していた時期はあった。だが、その頃はまだ他に頼れる「お姉さん」メンバーがいた。彼女が体調を崩していても、前に出て代わりになれるメンバーがいた。
しかし今回はグループを背負って立つ立場である。誰にも代わりはできないし、誰も風除けになれなかったことだろう。その重圧を、周囲の人がもう少し感じてあげられたなら、この事態にはならなかったかもしれない。今そんなことを言っても仕方がないが、残念ではある。
少なくとも本人は大変に疲弊していることだろうから、周囲も、自身も、どうか責めずにいたわっていただきたいと切に願う。
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話は変わって、僕は結構な完璧主義者である。
自分のできることは最大限にやっておきたいし、何なら最大限を超えて自分の限界までチャレンジしてしまうことがこれまでに多々あった。
その最中はある種「ハイ」になっているので気付かないが、終わってからガタッと崩れることもしばしば。体調を崩して(という名の脳の酷使で)、数えきれないくらい心療内科や精神科にお世話になった。今は年齢のせいか、そこまで追い込むことはなくなったのでそれなりに落ち着いているが、若いころはエネルギーも有り余っているため、自分の心身に「過剰な負荷をかけていたなあ」と思う。
完璧主義は、できなかった時に「自分を責めてしまうが故に危険である」という問題がある。完璧を目指そうとしてできなかったわけだから、理由を探して「できなかった自分」を責めるのは、ある意味当たり前である。しかし、本当の問題点はそこではないと僕は思っている。
実は完璧主義の問題点は、それが「できてしまった」時に発露するのだ。
完璧を求めて「それを達成してしまった」時、どうなるか。まずは達成感が訪れ、自分が完璧であるかのような高揚感が全身を包む。
しかしそれは一時である。その後すぐに「できなかった些細なこと」に目が向くようになる。次は「もっと完璧に」「もっと完全に」と思うが、それは同時に恐怖でもある。
ようやく乗り越えて手にした成功に対し、あたかも泥をぶちまけるように否定する。次はもっと完璧に、完璧にしなければいけないと思い込む。それは終わりのない苦行だ。100%でできたら、次は110%、その次は120%と、自分に課するノルマも青天井に上がる。そして、もちろんそんなことはできるはずがないので、どこかで力尽き「やはり俺はダメだった」と自分を責める口実を手に入れる。
良かった良かった。できちゃってたから油断してたけど、最終的には自分を責めることができたね。なーんてことはなく、これではただツラいだけである。こうなると、しばらく休んでも一緒。また「完璧を目指して」自分を削り、エネルギーが切れてまた止まることの繰り返しだ。
また、自分を責めるだけでなく、時にはそれが他者への怒りとなって現れることもある。なぜなら、こっちは「死ぬ思いで150%やってるんだ」という気持ちがあるからだ。
「こっちがこれだけやってるのに、君は、君たちは何をやってるんだ!」
「見たところ50%ぐらいしか出してないじゃないか!」
「ふざけるんじゃないよ!」
と、自分を責めきれないエネルギーが溢れだし、他者に対して向けられることも往々にしてある。自分としては当然の怒りに感じるが、こうなってしまうと周りの人間は溜まったものではない。
当然、周囲には溝が生まれ、心は通わなくなる。相手もこちらの怒りに合わせるように怒りを出してくるようになる。最後には自分も相手も潰してしまう。
ああ、イヤだね。
書いてるだけで思い出すあのイヤな感じ。
周りに味方なんていないし、自分さえも自分の味方ではない。
どこにも逃げ場はない。
絶望。
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で、最後に、僕がそんな時に読んだ本、もしくはそんな時に読みたかった本、もしくは絵、などを紹介します。
まず一冊目はこちら『こころのヨーガ』。
この本は「ヨーガ」と書いてあるけれど、いわゆる「ヨガのポーズ」などは一切載っていないという変わった(?)一冊。最近流行りの「マインドフルネス」の源流にある思想が、わかりやすく書かれています。
ページごとにアドバイスめいたことや「心の持ちよう」について書いてあるので、短い時間でも読めるし、気が向いた時に開くだけでも落ち着いた気分になれます。過去や未来にとらわれることなく「現在を生きる」助けになる良書です。
二冊目は『逃げ出したくなったら読む本』。
出版社のページが見つからなかったので、ライフハッカーの書評のリンク。ぜひそちらも読んでみてください。
これも疲れた時に大変重宝する一冊。
大切なのは「自分の感情」であり、「自分の感情」を大事にするだけで全てうまくいくよ。そういう内容の本です。
なんて書くと「自分勝手」を勧めるような感じがして語弊を生みそうだけれど、決してそうではありません。
「自分を大切にすることで、結果的に相手のためにもなるんだよ」「逃げ出したくなったら逃げてもいいんだよ」「その自分の気持ちを分かってあげましょうね」と、優しく教えてくれます。
三冊目は石田徹也の画集にしようと思ったのだが、これまた適当なリンクが なかったので公式HPをぺたり。
まあ、あれこれ言わずに彼の絵を見てほしい。「あ、この感じ知ってるな」と思った方は、ようこそ、君はこちら側の人間だ。
僕は絶望的な気分になった時、石田徹也の絵を見る。そこに、今の自分と同じような人々(もしくは人のような何か)を見て、絶望が底をつくまで待っている。
彼の絵の、一見無機質で無表情の画面の下には、怒りや生への希求が今にも吹き出しそうに沸騰していると感じる。
そのなつかしさに触れて、僕は底から出口の方を見るように、また立ち上がることができる。
それでは、皆さまに今夜も安寧が訪れますように。