批評(ex.goma油)

批評(ex.goma油)

趣味の批評をしてみたいと思いました。

自分にとってのメンタル不調と、書評

2006年ごろから私は、精神的な不調を抱えながら生活してきた。もうすぐ10年ぐらい経つのかと思うと、感慨深いものもあるような気がする。


自分にとって一番顕著であり最初に訪れた症状は、睡眠にまつわるものだった。

朝、起きられなくなる。
体中が重い、だるい、起きられない。
いつまでも眠ってしまう。


騙し騙し休んだりしながら働いていると、そのうちに身体的な症状も出てきた。

首から肩にかけて痛みが続く。
頭痛、胸痛で眠れない。


さらには自律神経の調子も悪くなった。

日中ふわふわして気を失いそうになる。
寝ようとすると苦しくなって目が覚める。
大きな音や光で気分が悪くなる。


心療内科に行った。
漢方を試してみた。
整体や鍼にも通ってみた。

それでも良くならず、ある日駅前を歩いていたら急に胸が苦しくなり、死んでしまうと思ったので僕は会社を休職することにした。


薬を飲んで、飽きるほど寝た。そうしたら幾分調子が良くなってきたので、医者の勧めもあって散歩をするようになった。家の近くの散歩道を往復40分。途中にある図書館にも寄るようになった。

その図書館で見つけた本が今回のテーマ(前振りが長い)。

 

『軽いうつ病D氏の日常生活(三笠書房)』加藤諦三
(※以下 '' 内は全て本書より引用)

うつに限らず、メンタルヘルスをテーマにした本は何冊も読んできたが、本書はこれまでに読んだどれとも違っていた。

大体において、メンタルヘルスの本は優しい。今までがんばってきたのだから、これからはがんばらなくていい。そんな優しいメッセージに包まれて、ひと時つらさを忘れることもできるだろう。でも本書は違う。


'人が「死にたい」と言ったときには、「死にたい」という意味ではない。「生きたい」という意味であり、「あなたを殺したい」という意味であり、「助けて」という意味であり、甘えであろう。'


のっけからこれである。うつや神経症の原因は「甘え」であると言い切っている。驚いた。ここだけ抜くと暴論のようにも見えるがそうではない。D氏というアドラーの著書に登場する人物を取っ掛かりとして、うつや神経症の裏に隠された強力な怒りや、その怒りの根本に母親固着の段階から成長していない未成熟があることなど、繰り返し丁寧に説明されている。

不調になった原因は、人それぞれだろう。だから誰にでも当てはまるとは思わない。

でも自分にとってはジャストヒットだった。

この不調の奥には、ものすごい怒りと恨みと妬みが沈積している。
そしてその対象が母親から始まっていることも間違いない。
さらには、人間的に成長していない甘えが、自分を「生きる」ということから遠ざけている。


いわゆる「新型うつ」というものが、従来のうつ病と違っているということは良く目にする。「新型うつ」には励ましや、尻を叩くようなことも必要である、という内容の本もいくつか読んだことがある。

だが本書がそれらと明確に違う(と感じる)のは、著者がこういった不調について「医師からの視点」でもなく「研究対象」でもなく、ただ患者の側に立って書かれているという点だ。

ラジオの人生相談を長く続けているからだろうか。著者の眼差しは、厳しくとも決して突き放していない。


'世の中は、ベンチャー企業で成功した人を騒ぎ立てるが、うつ病者がうつ病から立ち直ろうとすることは、それよりもすごいことである。それは自分の、強度の依存心との戦いである。それは自分の弱さとの戦いである。'


この温かい言葉に触れる時、私は心に強い勇気のようなものを感じることができる。