日本語ロックの夜、か、夜の日本語ロック①
今日、街を歩いていたら突然【15の夜】のサビが降ってきた。
みんなもあるはずだ。
盗んだバイクで走り出す
のところ、頭の中で尾崎が歌いだす。
間違いなくみんなにも経験あるはずだ。
なぜなのか。
なぜ【15の夜】はこれほど再生のクオリティが高いのか。
何回も通して聞いたわけでもなく、少し時代がずれているためリアルタイムでは聞いていない、主にカラオケで誰かが歌っていたのを聞いた方が多いのではないかという印象の、しかし間違いなく名曲と言いきれる、名曲。
タイトルに用いられ、またサビにも3回登場する「夜」の空気の再現性。
「夜」は孤独を感じさせ、ロックと相性が良いのは間違いないが、それにしてもこの尾崎の「夜」は、それ知ってる度が高い。
ティーンのころに、何も持たずに夜の道を歩くあの空気が、一瞬で蘇ってくる。感覚ごと再生される精度の高い歌の記憶。これは何なんだ。
尾崎豊は、かっこいい。
顔もすごくいい。生き方も非常にロック。
少年時代から、常に脇に追いやられている(という感覚を生きている)感性とそのまなざしは、正しくロックの角度である。
そしてあの声だ。
ほんの少しフラットにかかった、少年性を表現するのにぴったりだったあの声。高音でやや力んで声を張り上げるあの感じ。まさにロックを歌うためのような声だった。
わかる。
それは良くわかる。
しかし「盗んだバイクで走り出す」は、もっともっと、ものすごく消費されているはずなのだ。
お笑い芸人がこの一節を漫才に盛り込んだのを、聞いたことがある。芸人でなくても、何となく子供っぽさや無垢な情熱を表現したい時、大人の側から揶揄するようなトーンで、「盗んだバイクで走り出す」と歌われたのを、聞いたことがある。前述のように、カラオケでも何度も何度も聞いた。
また、だいたひかるは初期のネタの中で唐突に、「ぬーすんだばーいくはでーまえよおー」と歌った。これは本当に天才的なフレーズだと思った。
そんな風に、僕は人生の中でこの「盗んだバイクで走り出す」を、消費され尽くすぐらいいろんなやり方、場面、シチュエーションで聞いているはずなのだ。
それでもなお、尾崎の歌は僕の脳裏で正確にあの夜を歌ってくれる。
本当にすごい。
消費されない強度とはこういうことで、その中でもトップクラスに強いんじゃないだろうか。
そんな風に思った45の夜。
(45歳ではないが)