それぞれちがうというはなし
こんな記事を見かけた。
日本でも、今年の一年生はキャンパスに一度も行くことなく夏休みに入った、などというニュースを見た。
緊急事態宣言下の活動自粛や、現在の行動指針についても、様々な意見が入ってきますよね。
およそ人間にとって、他の人間とのコミュニケーションは欠かせないものであり、何とかこの状況下でもコミュニケーションを取りたい。
単純に家にいるのは耐えられない。
誰ともしゃべらない日が苦痛。
などなど。
で、気づいたんですが、僕は全く大丈夫なんですよね。
ASDなので、もともと飲み会は苦手だし、人との距離感がはかれないので、面と向かって話すの苦手だし。
できれば休日はひとりで誰とも話さず過ごしたいし、ゲームですら可能な限りマルチではなくソロで遊ぶし。
ストレングスファインダー2.0で一番の項目は「内省」で、周囲の人に「自分一人で部屋にこもる時間が自分にとって何よりも大切だとわかってもらうべき!」みたいなこと書いてあってまさにその通りだし。
だから、むしろ自粛中の方が、楽でよかったなと思っているわけだ。
これはもちろん、どちらが良いとか、優れているとかいう話ではない。
シンプルに、世界にはいろいろな人がいるという事実だ。
そしてその「いろいろいる」には、外見でわかるようなことだけでなく、内面についても千差万別だということなのだ。
今回、僕はそれを学んだ。
いや、正確には、それは知っていたけど、立場が逆転したことでまた違った見方ができるようになったということだ。
これまでは、どちらかと言うと「コミュニケーションが好きな人の優位な社会」だったと思う。
僕が生きづらいと感じていたのだから、これはおそらくほぼそうなんだろう。
そして、その中で生きづらさを感じつつも、こちらとしては社会を「そういうもの」として捉え、ある種あきらめとともに、なるべく波風を立てないような工夫をして生きてきた。
時には、社会の他の人に自分の特性を説明し、わかってもらうことで自分が楽なようにできるというやり方も取った。
その根底にあるのは、やはり「人はそれぞれ違う」という信念のようなものだった。
「こちら」と「そちら」は違う、その差を無理して埋めるのではなく、差を認識し尊重することで、むしろ自分を大事にするというような心の持ちよう。
それでここまで何とか生き延びてきたんだから、これに関しては自分を大いにほめたいね。
で、それが今回の自粛期間(や、ロックダウン政策など)によってコミュニケーションの断裂が起きたとき、僕のような人の方が生きやすい社会が、一時的に出現したのだ。
もっと端的に言うと、適応と非適応が、逆転したのだ。
これはかなり衝撃的だった。
僕の方が生きやすく、今までコミュニケーションを良くしていた人たちの方が、生きづらくなったからだ。
以前から、障害は環境がそれを障害たらめているだけで、環境が変わればそれは障害でなくなることがあるんだ。と、頭ではわかっていたけれど、それが実際に起きることだってあるんだ。
それはこれからの人生に勇気を持てる事実だった。
そして、すぐさま、今の環境下に適応できず困っている人の気持ちもわかった。今まで僕はそう感じていたからだ。
「いろいろな人がいる」ということは、本当にそのままの意味で、善悪や優劣など存在しない。
だから、いま困っている人には助けを。
自分が困っていたら、声をあげよう。
そんな社会ができたらいいよね。