批評(ex.goma油)

批評(ex.goma油)

趣味の批評をしてみたいと思いました。

アイドルとファンの関係とは

AKB48の峯岸さんが頭を丸めて謝罪動画をアップした件が話題になっているようなので、この機会に少しだけ「アイドル」とその「ファン」について考えていたことを書いてみる。


まず、今回起こったできごとのうち、客観的に見ることができたのは大きく以下の2つ。


1) 週刊誌に峯岸さんの熱愛(なのかどうかは知らんが)が見つかったというできごと

2) 峯岸さんが謝罪として頭を丸めて動画をアップしたというできごと


このうち、どちらかというと話題になっているのは②の方。

確かにそのニュースを聞いてから実際に動画を見ようとして、すぐ見るのをやめたぐらいにショッキングだった。

ただ、その責任の取り方をするに至った気持ちというか雰囲気というか、「持っていきかた」については、何となく納得できた。


ここからは完全に想像なので事実と違っていてもご容赦いただきたいのだが、峯岸さんは「AKBとして責任を取る」とはどういうことか考えたはずだ。


ちょうど1年ほど前、同じく「初期メンバー」の平嶋夏海さんが男性との交際を匂わせる写真の発覚によりAKBとしての活動を辞退し卒業した。
この時は確か握手会で謝罪をし、AKBおよび渡り廊下走り隊7から脱退という流れだったと思う。

その後半年ほど経って、今度は「初期メンバー」ではないが中心メンバーだった指原莉乃さんが、
AKB48から姉妹グループHKT48に移籍している。

理由は週刊誌に研究生時代の交際を暴露する記事が載ったことだった。

その後も指原さんはわりと普通にAKBの選抜メンバーに入っていたりするので、恐らく「辞めさせられない理由」があったのだと思う。

直後に「ゆび祭り」っていう、アイドルを各方面から集めた大き目のイベントが予定されていたし、完全に「辞められたら損害大きすぎ」な状態だったのは想像に難くない。

だから、ファンからしたら「左遷」と表現されるような一見派手な「罰」を与えることで、「手を打ちましょうぜ」ってことだと思う。



で、この流れで考えると、どうやらこの手のスキャンダル(と言うのも違う気はするが)の事後処理には2通りのやり方があるようだ。

A) 謝ってスパッとAKBを辞める
B) 謝って「結構きつめの罰」を受けてAKBを辞めない

結果として峯岸さん(もしかしたら秋元康さんと、事務所の人々も)はB)を選んだわけだが、まわりが考えた「結構きつめの罰」はそもそも「研究生降格」だった。

頭を丸めるという行為は、峯岸さんが自ら望んでやったことで、スタッフが気づいた時には、丸刈りの状態だったと言う。


これはつまり、峯岸さんがAKBを続けるために必要な行為だと、峯岸さん自身が考えたということだ。

平嶋さんのこと、指原さんのこと、もしくはこのあいだ卒業した増田有華さんのことなど色々なことを考えて、「初期メンバー」である自分が、平嶋さんとは違う(AKBを続ける)道を選ぶ場合どうすれば良いか。

「研究生降格」では、足りないのではないか。

あっちゃん(前田敦子)が作った、AKBのメンバーとしての「正しい卒業」に、泥を塗ってしまうことになるのではないか。

何よりも、たかみな(高橋みなみ)に合わせる顔がない。
ちょっと前に「秋元先生が何と言おうと恋愛禁止」と言った高橋だ。

立ち上げから一緒にやってきて、同じユニット(ノースリーブス)のメンバーでもある自分が中途半端なことをしてはいけない。

よし、坊主にしよう。



という、ここまで30代男子のキモい想像ですが、こんな風に考えてみると、勢いでやってしまったのもわかる気がするのだ。

そしてここで特筆すべきなのは、「女性アイドルが坊主」という文字だけでもショッキングな行為をやりきるということが、それが良いとか悪いとかではなくて、たとえそこまで狙って考えていなかったとしても、結果的に芸能人の「パフォーマンス」として非常に優れていたというその嗅覚だ。

一般的な成人男性からはあまり出てこない感覚。

しかし、時に「プロレス的」と言われるAKB48にあっては、アリなような気もする絶妙な「罰」。

うまく言えないが、「死」よりマイルドで、そこそこ衝撃的なそのさじ加減が、「流血」のような「死なないけど見栄えがするプロレス的ツール」を、「女の子」の側で消化した結果とでも言うような。

何だかとても馬鹿馬鹿しいけど真剣なものを感じてしまう。

それはつまり「プロレス」の感動であり、今回「アイドル」に抱く感情として新たに提示されたのだと思う。


全然言いたいことにたどり着かなかったが、一旦おわり。